作品記録『木に花咲く』 2017年1月26日

January 25, 2017

演劇の上演をなるべく言葉にしたい。重要なことは稽古や思考の振り返りではなく、作品の言語化。

今回とくに私は感覚的に作ったため、上演に対しての言語化が拙かった。反芻する場にしたいと思う。

 

『木に花咲く』記録写真 撮影:吉原洋一 

 

 

<『木に花咲く』は一体なにを作りたかったのか>

 

”別役実”を演劇に立ち上げたかった。家族と老い、暴力はその次だった。

 

別役実が描く戯曲にはイヨネスコのように劇中に姿として現れることはないが、彼の時に冷たく、時に熱い眼差しが存在している。それは彼の書いたセリフの中から読み取れる。

たとえば、冒頭。

 

満開の桜が一本。その下にむしろを敷いて、白髪の老婆がひとり、朱塗りの膳部を前にして酒を飲んでいる。やや離れて上手に、大きな洋服ダンスがひとつ、ほとんど関係なさそうに置いてある。≪さくら、さくら≫の曲が流れ、桜の花びらがしきりに舞う……。


老婆    いいおひより……。まるで全世界が発狂したようにのどか……。ヨシオ、そうだよ……。お前は病気だよ……。私には前からわかっていた……。お前の脳ミソは白くて、やわらかくて、ほんのちょっとした風にもおびえてふるえた……。(以下、略)
 

坂口安吾の『桜の森満開の下』を彷彿とする異様な春の下、まるで守られたように存在する老婆。老婆による孫への明らかな執着が言葉遣い、調子から読み取れる。その饒舌な語感は心地よく聞こえるが、「全世界」や「脳ミソ」などその言葉にはやや行き過ぎた感がある。

また、老婆の傍にある今後親子が出入りするタンスは「ほとんど関係なさそうに」という、妙に人臭く冷たい距離を保ち、老婆のなすこと全てを見ているかのように置かれている。快感を伴う語感、シチュエーションと、冷たい距離がかわるがわる取って代わって、覗き込むように人物を囲んでいる時間が別役実の戯曲の大事なポイントだと思う。
 

 

別役実。

登場人物の背後にいつもいて、観客と共に舞台を、俳優を見ている。それは言い換えてみると、重たい罪、業のようなものだ。

老婆が孫の死に直面し自身も死を迎える終演の時まで、冷たい眼差しの別役はそこにいる。

そこで彼が見ているのは、かなしい状況を喜劇的にというだけでなく、見られることから逃げるな、罪は背負わねばならぬ、と老婆たち(老婆のみならず、母や父、孫にまで)にぴったりくっつくように存在している。

 

そして私は、この作品が実際にあった事件を元にしていることを考える。

(実際に祖母を殺害した孫の遺書や母の手記には、前述した老婆のセリフに堂々並ぶ言葉が細かく記載されている。)

人から見られることを前提としたこの戯曲という場所に、実際の家族や別役からも否応なく距離を置いた俳優や演出家たちが、この異なる二つの眼差しを抱擁しながら時間を共にすることは重要なことだと思った。

 

 

 

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