approach No.3 渡邊織音ー舞台美術家のアプローチ①

January 2, 2017

approach No.3
渡邊織音ー舞台美術家のアプローチ

聞き手:渋革まろん
日  :2016年12月20日(火)

 

渡邊織音(わたなべ・しきね)さんの経歴は多少複雑だ。

学部+修士で6年大学に通う。のではなく、その間にヨーロッパ遊学とメキシコ留学休学と、3.11後の休学を挟み、いつの間にか7年が経つ。彼は、とりあえず動く、動いた先で目の当たりにした「それ」について、底知れぬ好奇心で「問いかける」。

手がける舞台美術にも、そうした感覚が抑えがたく発揮されているように思えます。織音さんの舞台美術に対するアプローチは、戯曲の解釈や舞台の状況を説明していくようなものではなく、舞台の《いま・ここ》に私たちへの「問いかけ」を投げ出すようにして編まれていくのです。

密度の濃いインタビューになりました。お付き合いください。

 

 『木に花咲く』美術案のためのスケッチ;渡邊織音

 

 

 

①渡邊織音の経歴篇

■ 変なものが出来てしまう

 

最初に、織音さんがこれまで何をやってきたのか、そういう経歴についてお伺いしたいと思います。早速ですが、本職について教えてください。

 

本職は建築設計で、意匠ではなくて構造という分野。

建物の構造計算をしたり図面を描いたり現場に行ったりしながら過ごしています。

 

大学で建築を学ばれたんですか?

 

2006年に大学に入って、7年いたんですよね。何度か休学を挟んでいるので。

正直、学生時代はそんなに勉強してなくて、構造設計については、働き始めてから勉強している感じです。

 

舞台美術を手がけるのは、蜂巣さんが演出した『水』に続いて2回目ということですが、学生時代にはアートワークに関わるような活動をされていたんですか?

 

大学の中で芸術祭が年に一度あるのですが、僕はインスタレーション作品を出品していました。

そういうことをやっている間に、自分自身で手がけたインスタレーション作品のストラクチャーで一応建ってはいるけど、何で建ってんだろう、どうなってんだろう?そういう存在そのものへの疑問が出てきて、ロジカルに解けるものがあるんじゃないかと思って、構造設計に興味を持ったんです。

 

大学の芸術祭では、どんな作品を?

 

僕の幼馴染がカメラマンやってるんだけど、SF映画が好きな人で。

彼が卒業制作の作品素材として、水の中にひたすら墨汁を垂らすとふわっと雲のように見えてくる映像や、銀紙をぐしゃぐしゃにしたものを撮った映像・・・・・・そういうものを撮りためていたんです。

それを投影する時に空間へ落とし込む方法を探そう、ということをやったら楽しくて。それで次の年もまたやろうってなって、ドーム状のものを薄いベニヤ板で作って、彼が撮りためている映像から選りすぐったものを、プロジェクションマッピングのようにして投影しました。

これは、子供にウケが良くて。わけのわからない空間に入るほうが喜ばれるんだなっていう手応えを感じたり。それから、縁あって銀座の画廊を借りて個展も開かせていただきました。

たまたま2011年の3.11と重なった時期で、震災直後にボランティアとして現場に入って目の当たりにした印象を抱えたまま、ダンボールの崩れかけた模型を銀座の画廊に展示するっていう。うわ、これどうしよう、みたいなものを。

 

この当時の原動力って何だったんですか?

 

学校の中で、何やっても正直いい評価じゃなかったことも逆に原動力だったかな。

作品を作るとA〜Eまでランク付けされるんですけど、僕は大体CかDくらいだったの。講評されるのはAの人とかなんだけど、CとかDとってるのに、僕も講評されて。とても意味がありそうなものを作っている人だから、とりあえず前に出して話は聞いておくか、そういうポジションだった。

当時から建築学科的な設計をしていくアプローチではないものを、感覚的に持っていたのかもしれない。作品を作ると結果的に変なものが出来ちゃって。それで僕が1年生のときに学んでいた建築家がフランスに呼んでくれたんですね。その人が現地に連れて行ってくれて、色々手伝わせていただきました。

わりとそういう刺激に毒されて止まらなくなったのかも。パソコンでカチカチ図面書いて模型作っているだけにおさまらない自分がいたんです。

 


■まずは行く/フランスへ、そしてメキシコへ

 

フランスに遊学していたんですか?

 

フランスには2007年と2009年の2回にそれぞれ一ヶ月滞在しました。フランスのナント市という都市でヴィエンナ―レが開かれた年、招聘されいていた建築家を手伝う形で。村に滞在しながら制作を行うために、地元の学生とワークショップをしました。そこで身体を使ってものを作ることを純粋に学べたことの影響は、大きかったと思います。

その後、2009〜2011年くらいは、旅行形式のワークショップを企画したり。年一で、3〜4回企画しましたけど、一ヶ月くらい、参加者と共に車に乗って、フランスやスペインとかヨーロッパを回って、ひたすら民家を見る。

あと「穴居住宅(ケッキョジュウタク)」とか、昔からある伝統的なものを見続けたり。別の企画では歴史上の内戦を振り返るツアーとか。

こういう企画では、現場におもむくことに、力点を置いてましたね。とりあえず行く。とりあえずその場に立つ。そこで思う、みたいな。2010年にはメキシコへの短期留学もしていました。

 

どちらかというと、建築家というよりアーティスト的な活動ですよね。

 

確かに、言われてみれば。結構、勢い良く生きようってのがあったから。一年一年充実させようって純粋な気持ちがあって。

留学もやっぱりいきなり行けないから、それなりに用意して行きましたよ。

留学という選択肢をとる時ってヨーロッパを選ぶ傾向があるじゃないですか。でもちょっと違う国に行きたいなって思ってたら、たまたま外務省のプログラムでメキシコ留学があったんで、そこに乗っかりました。

23歳以上から受付OKで、ちょうど23歳になる年だったから、これラッキーじゃんって。

 


■マンホールに落ちる

 

いきなり行けないけど、行こうとする人もそんなにいないです。行動力が半端ないですね。

メキシコではどんなことをされてたんですか?

 

その時は、スラム街に壁画を描いたりするプロジェクトを手伝っていました。

そうやって留学生活をおくってたんだけど、本当ひたすら腹を壊し続けていたから。そういう文化的なもので身体が侵されていくのは鮮烈でしたよ。

その時、はじめてマンホールに落ちたんだけど。

 

マンホールに落ちた・・・・・・?

 

僕が住んでいたメキシコシティは、東京に比べて、わりと道がデコボコなの。

僕はマンホールに穴が空いていることを知らずに悠々と歩いていたら、ストンと落ちて。正確には片足だけ落ちたんだけど、思いっきり膝を打った。それで膝を引きずりながら学校に行ったんです。

わりとショック受けましたよ。

東京に帰ってきたときのマンホールの怖さといったらなかったです。ほとんどマンホールの上を歩かないようにしてるもの。いまだに。

ものすごく挫折感を味わったんです、マンホールに落ちて。精神的に。びっくりしたんですよ。

 

これまでのお話を聞いていると、織音さんは何らかの建物を建てるというより、環境に対して働きかけたりアプローチを仕掛ける経験を積んできたように思えます。

 

建物を作るような、具体的にお金がものすごくかかる前の準備段階に関われたところはあるかもしれない。

物理的にものがボンボン建つ社会じゃなくて、わりと緩やかにみんなが参加して巻き込まれていって、そこにいる人達が主体になってアクションを起こしていく。

それを仕掛ける人たちのところにいたなって確かに思います。

 

社会に深く関与していくプロセスそのものを芸術とする、ソーシャリー・エンゲージド・アートの文脈を強く感じます。場に介入して、アクションを促していくような作業です。

 

自分が一人の作家になって何かを建てましょう、設計しましょう。

そこに引っかかったんだろうな。大きな壁があった。

人の話も聞いてないのに何を作れるのってなるじゃない。そこに大きな疑問を抱いたことが、おそらく大学で課題が与えられて一生懸命作ることへの懐疑につながって、外へ出て気づいたら7年経った。

物理的なことで課題を解決することへの疑問って、誰もが抱えていそうな感じはするけれど。

 

 

二回目に続きます。

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